新1万円札の肖像画が深谷市の偉人「渋沢栄一」になるみたい。【その他】

20年ぶりに紙幣が刷新されるそうです。

<出典:時事通信

そして新1万円札の肖像画は深谷市の偉人「渋沢栄一」になるみたいです✨


1万円札の肖像画は、1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更とのこと。

渋沢栄一とは
近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。
幼い頃から家業である藍玉の製造・販売・養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。
7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。
20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取りを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。
その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。
一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。
明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官します。栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。
大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わったといわれています。
約600もの教育機関・社会公共事業の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。
<引用:渋沢栄一デジタルミュージアム

新1万円紙幣のデザインはコチラ↓

<出典:時事通信
▲表面は渋沢栄一で、裏面は東京駅丸の内駅舎👀




▲深谷駅は、東京駅が深谷産の煉瓦を使用しているということから東京駅を模して1996年に改築💡
日本煉瓦製造の設立に携わっていたのが渋沢栄一👀

▲早朝にも関わらず、「ふっかちゃん」も喜びのツイートをしています😸

調べてみたところ、渋沢栄一が紙幣の肖像画になるのはこれが初めてではないみたいです👀

1902年(明治35年)から1904年(明治37年)にかけて大韓帝国で発行された初期の第一銀行券である1円、5円、10円札には当時の株式会社第一銀行頭取だった渋沢栄一の肖像が描かれていた
そうです✨

【1円札】

<出典:古紙幣旧札の買取査定ナビ

【5円札】

<出典:古紙幣旧札の買取査定ナビ

【10円札】

<出典:auction world.

日本人で生存中に紙幣の肖像画になった唯一の人物だとか。

約120年ぶり2回目の登場👀✨
埼北エリアの偉人が紙幣の肖像画になりますよ〜😸
しかも1万円札!

今朝のニュースでも大きく取り上げられていました。

NHKの「おはよう日本」より





▲500円硬貨も新たに発行とのこと。


▲ちなみに【サシ飲み4,000円】でおなじみ(?)の二千円札は現在のデザインを維持するそうです😸


※記事内の情報は2019年4月9日時点のものです

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