深谷市櫛挽にある「東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所」【さいつうフォト】

『さいつう』スタッフが
埼北エリアの風景や街並等を自由気ままに投稿する【さいつうフォト】
※本当に自由気ままに投稿するのでつまらなかったらスルーしてください…

今回は
深谷市櫛挽にある「東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所」


【地図はコチラ】

場所は北武蔵広域農道近く。
近くには「深谷 北海道市場 西成商店」「愛鶏園 愛たまご直売店」などがあります。

深谷市本郷にオープンした「深谷 北海道市場 西成商店」の『ホッケ一夜干し定食(半身)』【さいつうグルメ】

2023.12.07

それでは行ってみましょう!


▲のどかな風景の中に…


▲ん???


▲突如と現れるコンクリ遺構!




▲この剥き出しのコンクリ遺構が、「東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所」

「東京第二陸軍造兵廠深谷製造所」とは
昭和15年(1940)の組織改編によって、陸軍兵器廠の板橋火薬工場が「東京第二陸軍造兵廠」となり、隣の十条兵器工場が「東京第一陸軍造兵廠」となった。
埼玉県内には「大宮」「川越」「春日部」に東京第一陸軍造兵廠が置かれていた。
そして「深谷」には東京第二陸軍造兵廠が置かれた。
これは板橋の疎開先としての設置であった。深谷には「日本煉瓦製造株式会社上敷免工場」があり、利根川の対岸の高崎には「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」があったことから工場疎開先として都合が良かったとされる。
昭和18年11月より移転のための用地買収が開始。
もともとの「日本煉瓦製造株式会社上敷免工場」を「明戸工場」とし、日本煉瓦製造専用線沿線の幡羅地区に「深谷工場」(原郷工場)を建設。
深谷駅南の櫛挽地区に「櫛挽工場」を建設。
用地買収の1年後となる昭和19年10月に「東京第二陸軍造兵廠深谷製造所」が設立され、本部は現在の「深谷第一高等学校」の地に置かれた。
東京第二陸軍造兵廠深谷製造所は、稼働10ヶ月にして終戦。
<出典:近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝


▲ひとまず1階部分を覗いてみます👀




▲倉庫跡内にはほぼ何もない状態


2階部分はこんな感じ↓





▲ラピュタのロボット兵が出てきそうな雰囲気です👀


歴史が感じられる存在感のある建物でした。
近くで見るとなんとも言えない雰囲気が漂う感じ。

東京第二陸軍造兵廠櫛挽製造所
◆住所/埼玉県深谷市櫛挽85

 

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皆さんが撮った埼北の写真待ってます!


※写真撮影日:2023年12月6日

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